簡単に云いますと壊れた器(陶磁器、漆器etc.)を漆で貼り合わせ、更にその傷跡を蒔絵によって飾修復したものです。
蒔絵によって飾修復された痕跡は、「目に付かない」などとは正反対の「ここが割れたあとですよ」といわば絶叫しているようなもので、
ある意味不思議な修理の感覚です。
この修復の感覚は我が国独自のもので、特に西欧人には全くと云うほど理解されないものでした。
西欧人の修復に対する考え方及び感覚は、”現状に復する”と云うところに帰結しています。「本当は壊れているのですが、どう見ても分からないでしょう。」と修理するのです。
勿論、我が国にもそのような修理の方法感覚は西欧人と同様に当然あります。しかし、壊れたものをそのものと認識し、そうでないように振る舞うことは潔しとしない性根があるからなのでしょう。「これは、いかにそうでなく見えても、本当は壊れているのだ」と。
たとえば物を壊してしまった場合に、いかにしても元に戻らないことは自明の理です。いかに上手に修復してもです。オリジナルとは違うのです。そこでその考え方を逆手にとることを考案したのです。名品と云われる物を壊してしまった場合に、開き直りと同時に更に付加価値をすることを考えついたのです。いつの時代も黄金の輝きは人を魅了し、ステータスとしてのその存在を周囲に喧伝してきたのです。壊れてしまった器に”金蒔絵”と云う黄金の着物を着せて、「これぞ我が名品の別なる姿」としたのです。
百歩譲って名品でないにしても、使いやすい品、記念碑的な品、その他諸々の思い入れのある品を壊してしまった場合に、私達はなんとか同じ物を手にしたいと考えますが、叶わない時も当然出て来るわけです。その時に現状に復するだけでなく、付加価値をつけて楽しむことを考案したのです。これが金繕いに代表される、漆による修復の方法です。