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半生の制作活動で、
感動した瞬間と云うものはいくつか存在しているのだが、
藝大に入学して間もなくの頃資料館で出会った「安井曾太郎の人物木炭素描」(藝大資料館蔵)もその一つであった。
安井先生が画学生の頃、如何にも真摯な態度で制作されたであろうデッサンにその後幾たびか出会う機会を得たが その都度に、しばし見入ったものである。 私の学んだ工芸科でも幅広い感性を享受させる為に、そのカリキュラムの中に裸婦の木炭素描も含まれて いた。40年も前の話であるが、油画科から指導教官として、故小松崎邦夫先生や中根 寛先生が わざわざ工芸科まで出張って来て下さったものであった。 当教室でも折に触れて石膏像デッサンetc.を生徒さんに学んで貰っているが、かつて「アサヒグラフ」誌が 安井曾太郎集を編纂した折りに、先述のデッサンの一部を解説の一環として記載していたのを思い出し、 その片鱗を享受させるべく、このWEB上に利用させて頂くことにした。小さな画面からの再構成なので、どこまで 伝えられるかは自信はないが、ここに紹介させて頂く。(各作品をクリックしていただくと拡大します) |
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「Dessinは目の当たりにする物象を
ただ正確に写し取ることではない。」 15才、手ほどきを受け始めた時点で最初の師(水海道第一高等学校美術教諭故松井不二男先生)からその目的を正確に伝えられてはいた。 しかしその中心となる物象の見方及び感じ方を如何様に捉え抜くかは、そう簡単に行くものではない。 まして具体的な表現手段を持ち得ずして作品を実体化することなど絶対的ではないものゝやはり不可能に近いのである。 その為に与えられた空間 (たとえば白い画用紙もその一つである。) を如何様に満たして行くかば光と陰(と影)゙を 駆使して構成し表現する以外にはないと云うことを学んだのである。 立体である彫刻の場合でも制作された塊を取り巻く美しい゙光と陰(と影)゙無くして何の意味があるであろうか。 そこで私たちはその゙光と陰(と影)゙を自身のものとする為に、基本的手段としての描写力を養うのである。 人体及びそれをモチーフとして制作された彫像(石膏像)は美術に係わる人間の空間と塊の勉強のモチーフとして、 その美しく比類ない形状故に極めて具合の良い物である。 レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ・ヴォナローティのデッサンも多数遺されているが、 その基礎力を含めてやはりみごとな見方、感じ方なのである。一般的には「変な絵」の作家と思われているパブロ・ピカソも 実は大変なデッサン画家であるし、そのデッサンも実に美しく内容深いものがある。 私たち工芸家にとってもデッサンは欠かすことの出来ないものなのである。従って、学び続けなければならない。 教室では、工芸志向の生徒さん達にもスケッチブックをいつも手元に置き、新しいイメージやアイディア及び表現方法が 浮かんだ時には出来るだけ描き留めるように指導している。それらを具現化するための描写力を具えて置くことによって、 より明確な印象を脳裏に定着させうるだけでなくプロセスとして次へのステップの種となるのからなのである。 この方法は美術に関わる者にとって不可欠なものであるし、プロフェッショナル、アマチュアを問わない。 そこで、当教室の諸兄諸姉の勉強への一助としてとても安井先生に及ぶべくも無いのであるが私の学生時代のデッサンも 恥ずかしながら紹介することにした。なにがしか参考になれば幸いである。 (各作品をクリックしていただくと拡大します) |
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デッサンは、タブロー【tableau=絵画】の下絵ではない。先述したように感じ方、見方を学ぶ方法なのであるから
従って美術の全てに関わるものなのである。その中で木炭デッサンは、表現の幅が広く感じ方、見方を構成するための調子を作り出す
のに極めて便利な描具、描法なのである。
木炭デッサンによって脳裏に刻んだグレーの調子の幅は、他の描具による表現に於いて、充分に効力を発揮させうることが出来るで あろう。 デッサンに用いる描具は、鉛筆、コンテチョーク、ペン、etc.種々あるが、時代の変化の中で表現の巾を広げるものが沢山出て来ている。 私が個人的に興味を持っている描具は、アクリル系のインクを使った極細ペンで、これを利用してのモノクローム表現はなかなかに 気に入っているし、最近は年賀状でこの描具を使用して楽しんでいる。次ぎにその年賀状を紹介したい。 (各作品をクリックしていただくと拡大します) |
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